■傷跡の花■
[短編小説]

 人は何処まで、人を愛していられるのだろう。
 人は何処まで、人を信じていられるのだろう。

 孤独の先に、人は何を見出すのだろうか。


     * * *


 ────あんた、嫌いよ。


「……っ」


 ばっと俺は体を起こす。あまりに勢いよく起きた所為で、ベットが大きい音を立てて軋んだ。
 飛び起きてみて、額に汗が流れていることに気付く。
 嫌な汗だ、と心の中で思った。


「……いつの夢だよ、クソ……」


 胸糞悪い。
 毒づいても、その嫌な感じは消えないし。

 俺は汗ばむ手を見下ろした。

 見下ろした先──掌には何も可笑しいところはない。ただ冷や汗をかいているだけだ。
 だが少し視線を下ろすと、忌々しいほどの傷跡が目に入ってきた。

 ────リストカットの、跡。


「……ち」


 舌打ちする。
 見るたびに思い出す、自分の愚かさ。

 そして。




 ────あんた、嫌いよ。




 縛られている、心。
 未だ逃げ出せない、闇。
 俺を食い尽くそうとする、あの顔。

 何もかもに腹が立つ。


「……寝よ」


 今度は悪夢を見ないように。
 幼い頃のあの悪夢を見ないように。

 そう願って、俺は再び眠りについた。


     * * *


「……げ」


 次の日、学校。
 一限、数学。

 大嫌いな教科だ。
 本当に昨日の悪夢から憑いていない。


「…………さぼるか」


 時間割を見て暫く考えた末に、俺はそう結論づけた。

 昨日の悪夢から、何もかもが億劫だ。
 めんどくさい。やる気しない。うざい。邪魔。五月蝿い。

 そんなことを想いながら、俺は屋上へ行くため階段を上った。




 がちゃり、と屋上の扉が開く。目の前に如何ともしがたい、素晴らしい蒼穹が広がった。
 なんとまぁ、晴れやかな晴天だろうか。

 余計、胸糞悪い。

 最低な気分の、俺。
 天の邪鬼。


「……あ──────っ!」


 こうなったらもう、叫ぶしかない。
 気分が軽くなってくれれば、何でも良かった。

 が、それを人に聞かれたいとは思わなかったぞ、勿論。


「……何やってんの? 朔夜くん」


 頭上から振ってきた言葉。
 勿論と言えば勿論、俺は目を見開いた。
 慌てて天を仰ぐ。だが、其処には誰もいない。

 きょろきょろと辺りを見回すと、あはは、と笑い声が振ってきた。


「此処、此処だよ。朔夜くん」


 再度声がした方向に俺は振り向く。
 屋上にぽつりと着き出した東校舎の渡り廊下の上に、その声の主がいた。


「風見?」
「ピンポーン」


 誰何すると、彼女はくすくすと笑った。
 俺は思わず肩を竦める。


「……真面目な学級委員長様が、屋上でサボリか?」
「いいじゃんたまにはー。あたしだって息抜きしたいときくらいあるよぉ」


 ふふっ、と彼女は笑う。
 大して整った顔ではないが、いつもとのギャップに思わず見とれた。


「息抜きって……おまえ数学好きじゃねぇか、好きな教科さぼってまで息抜きしたいわけ?」
「それさー、朔夜くんには言う権利ないんじゃない? 英語が学年一位になる程好きな癖に、よくさぼってるじゃん」
「…………」


 ぐ、と言葉につまる。
 そりゃそうだ。


「ちょっと人間やってるのに疲れちゃって、空見て息抜きしてたんだよ。あたし」


 今日はこんなに天気が良いでしょ、と笑う。
 俺が腹を立てたものに、彼女はいとも簡単に笑った。

 それが何か……羨ましかった。


「……そうか」


 それしか返せない。
 今の俺は醜いから。

 闇に呑まれないようにと必死に藻掻いてるほど、弱いから。

 男が弱いなんて、お笑いぐさだろ。

 でも、過去に怯えずにはいられないから。




 ────あんた、嫌いよ。




 甦る、母の声。
 俺はそれに、我知らず顔を顰めた。


「……ねー、朔夜くん」
「なんだ?」
「人ってさー、一体何処まで人を信じることが出来るんだと想う?」
「……は?」


 いきなりの質問に、思考がフリーズする。
 首を傾げた俺を見て、彼女は苦く笑った。


「生きるのって難しいよねぇ。気付かないうちに人傷つけてたり、重荷になったりしてるんだもん」


 だからたまに人間に疲れるんだ、と彼女は笑う。


「でもさ、それが楽しいのかも知れないよね」


 楽しい?
 楽しいのか?

 誰かから嫌いだと叫ばれても。


「信じるのって難しいけど、人生の醍醐味みたいなものじゃない?
 その延長線上に愛があって……迷路みたいなものなのかな」
「……言っている意味が分からない」
「いーの。あたしもまだ捜している途中だから。人に理解されたいなんて思ってないよ」
「……捜してる?」


 そ、と彼女は大仰に頷く。
 にっこりと笑って、空に向かって手を伸ばした。


「生きている意味。あたしの価値」
「んなもん、ねぇよ!」


 気付いたら俺は叫んでいた。
 学校の周りの道路の騒音に混じって、響く。木霊する。



 意味なんかない。
 価値なんかない。
 あったら人は人を捨てたりしない。
 あったら人は人を嫌いだと罵ったりしない。

 そういうものだろう?



 否定した俺の声に、彼女は寛大に答えた。


「そうかもね。……でも空見るとさ、捜したくならない?」
「ならない」


 きっぱりと言うと、あたしはなるよ、と彼女は言った。


「空の果ては何処にもないでしょ。行き着く先なんか何処にもないでしょ。
 それでも人は空に恋い焦がれるから、きっとそれに意味がないなんてことはないんだよ」
「……分かんねぇっつの」
「だからー、理解されなくて良いんだってば。孤独はあたしだけのものだもん」


 は?


「孤独はあたしだけのものだよ。だって孤独を理解されたら、それはもう孤独とは言わないでしょう?」


 そりゃそうだ。


「人間の存在理由も価値も、その人だけのものだから。その人が理解できれば、それで良いと思うんだよね。
 迷うのもあり。立ち止まるのもあり。過去も未来も、今も、全部その人だけのものだから」


 理解される必要はないんだよ、と。
 俺は息を一つ吐く。


「理解不能」
「それでよし」


 くすくすと彼女は笑う。
 その笑顔を見ていたら、ふっと体の力が抜ける気がした。

 胸糞悪さも、何処かへ行く。
 澄み渡るあの空のように、晴れ晴れとした気分になった。



 ────もしも。



 もしも今、あの人に嫌いだと叫ばれたら。
 俺はこう言ってやろう。

 俺が好きだからそれでいいんだ、と。

桜華
2004年07月25日(日) 11時49分36秒 公開
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■作者からのメッセージ
久方ぶりの短編小説。
別サイトで掲載して頂いてたのを、そっくりそのまま引っ張ってきました。
……悪い奴。

この作品の感想をお寄せください。
可奈様、羽柴様、感想有難うございます。可奈様>本当久し振りに此方に小説を載せました。屋上って、心を解放できるような気がしますよね。近くなる空に、私は安堵感を憶えます。  羽柴様>これは6月に執筆したものなんですが…似てる状態なんですか。大変ですね。これは私の体験談なんですよ。とは言っても、母にではなく友に言われ、風見のように優しい言葉ではなかったですが。私に言えることはただ一つです。負けてはいけません、諦めるのも駄目です。負けるのとか、諦めるのとか、全て手を尽くしてからやることですよ。暗闇の中でただひたすら、考えるんです。此処に生きる意味を。 桜華 2004-07-31 13:25:39
..............何と云いますか(苦笑)。桜華様が、この作品を何時頃執筆されたのかは判りませんが、私、恐らく今、朔夜君と似た様な事をしています(リスカはしてないですが)。莫迦で厭で仕方がないのに、どうしても負けたくないんです。何度も屈している癖に、嫌悪の先ではまだ、諦めたくないと、頑なに足掻いているんです。 羽柴 2004-07-25 19:29:47
久しぶりの小説ですね。私も暫く書いていないのですが… 「屋上」という舞台が清清しくて素敵です。桜華さんならではの感性が詰まっていて楽しかったです^^ 可奈 2004-07-25 12:39:30
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